ふたりで暮らしひとりで生きる

独り立ちしたいこじらせアラサーの雑記

増薬はいけないことか

 

大事なチェックを一人で延々とする仕事(パート)をしているのですが、困ったことに長年悩みの種だった強迫性障害を悪化させてしまい…

とても仕事にならぬわ!ふんがー!と、泣く泣く薬を増やしてもらうことになりました。不安を抑える薬を今までの倍量に。

 

ここしばらくで、少しずつですが薬は減ってきてました。明言はされてないけれど、主治医の先生もその方向で考えてくれてたように思います。新しい薬を試すなら今飲んでるやつをひとつ減らす、という風にやっていました。

それだけに物理的に量が増えることには抵抗がありましたが…(自分は悪くなっていると感じさせられるような気がして。)仕方ないと諦めました。

 

飲み始めてから1週間ほどが経った今日、チェックをしていて、お?と思いました。

そういえば、いつもはしつこく見るところが少しですんでるような。その場を離れられないほど不安になることがあまりないような。

そんなことを感じ、効果が出たか?と嬉しくなりました。

そして、この嬉しさを感じるのは久しぶりだなぁと、もう7年も前に始めてメンタルの薬を飲んだときのことを思い出しました。

 

それは本当に “薬” だった

当時私は、自分は “メンタルの病気のふり” をしているのだと思っていました。

メンタルっぽいごたごたが出てきているというところまでは自覚していましたが…絶対認めてはいけない、自分は病気だと思ってはいけないと考えていました。正常と異常のボーダーラインが見えないという、メンタル特有の性質ゆえの葛藤だったと思います。

そんな、自分が病気かどうかという懸案事項は保留にしたまま、周りの勧めでとりあえず受診しました。そして言われるがままに服薬をして、びっくりしました。

効いたのです。

気持ちが少し和らいで、人と話すのが楽になりました。

効くということは、気のせいではなかったということ。つらかったのは気のせいではなかったんだ…我慢が足りないからではなかったんだ…と、自分の中でつっぱらがっていた何かが緩んでいきました。

病気だったんだと思うところまでは至りませんでしたが、自分の頑張りでどうにかなることとならないことがある、ということはよくわかりました。それだけでじゅうぶんでした。

 

飲むのは悪いこと?

それから7年、ずーっとお世話になっていると当たり前になってしまい、薬のありがたみを感じることはあまりなくなってしまいました。(たまに服用を放棄し、そしたらドスンと悪くなって、それで必要だったんだと感じるくらい。。。)

薬について考えるときは、どうやって減らすかという方向でばかり。基本飲まないほうがいいものだから、どうしても悪者のように思ってしまいます。

私の場合に限ってのことではなく…時には安易に多量処方されることもあるから、“薬漬け” なんて言われ方もしますよね。

確かに飲まないに越したことはない。飲まないで済むならそれが一番。でも、本来投薬治療はその人を助けるためのものだし、増薬も、状態によっては必要なこと。依存してはいけないけれど、“適切に” 薬に助けてもらうことで、少しでも穏やかに生活できるならそのほうがいい。

久しぶりに薬が増えたことで、基本的な、当たり前のことをしみじみと実感しました。もちろん、早く落ち着いてもらって元の量に戻したいですが…懐も痛むので(痛切)。

 

“薬漬け” とは

量だけ見れば、充分 “薬漬け” に見える量を飲んでいますが、私は薬漬けにされているとは思っていません。すべて自分に必要だと思っています。

薬漬けにされている、という言葉には、きちんと診ることもなく薬ばかり出されているという不信感が含まれているのではないでしょうか。

薬漬けかどうかは薬の量ではなく、処方する医師の姿勢とそれを受け取る患者の気持ちで決まるのではないかと思います。

信頼関係とひとことで言ってしまうのは簡単だけど。。。本当に本当に難しい。まだまだ、私も試行錯誤を重ねていくつもりです。

 

 

 

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最後に、なんとも力の抜ける話を。

増薬の効果が出たかな?と思った5分後のこと。「効果が出た」と自覚してしまったことで、がたがたがたーっと元に戻ってしまいました。効果が出たと浮かれて、油断して、ミスをするんじゃないかと不安になったのです。

そういうとこだよ!そういうとこがへちょくて嫌いなんだよ!もー!

あせらず、長い目で見ることにします。。。